騒音のない世界で本を読む

児童文学好きの読書日記

すべてに意味を求めてはいけない

人生なんて無意味だ   ヤンネ・テラー   著

 

意味のあるものなんてこの世には何もない。

ものはみな始まったとたん終わりに向かっている。

だから何をしても意味がない、無益だ。

 

自分の存在意義、人生の意味。

人生について世界についておぼろげに見えてきた思春期の子どもに湧き上がる疑問。

自分が今ここにいる意味はなんだろう?

どうせ死ぬのになぜ生きなきゃいけない?

意味がないなら今やっているすべてのことが無駄なのか?

 

  

 

思春期をこじらせまくってそのまま大人になった私。

人生の意味は極力考えないようにしている。

だって、意味なんてないって知ってるから。

私の存在なんてあってもなくても変わらない。

今私が消えてしまっても、世の中は滞りなく進んでいく。

つまり、私の存在意義はない。

 

人生の意味をまじめに考えたら生きていられなくなる。

うつまっしぐら、特急希死念慮行き。

人生だけじゃない、何事にも意味を求めたら、

それこそ今書いているこの読書日記なんて毒にも薬にもならない無用の長物、

1ミクロンの意味も存在価値もない。

それでも書きたいから書いてる。

それでいいと思ってる。

 

こじらせたなりにも大人な私は割り切る術があるが

(まあドツボにはまり、ちょいちょいうつを発症するけども)

思春期のこどもたちは割り切ることなどできないだろう。

            

 

「意味のあるものなんて何もない」と言い、

簡単に人生からドロップアウトしたピエールを憎んでしまうのもわかる。

意味のあるものはあるとピエールに認めさせるため作り始めた「意味の山」。

大事なものをひとつずつ積み上げていく。

子どもと大人の間を揺れ動く不安定な心理と

ルールは絶対遵守、離脱は許されないという集団心理や同調圧力が働いて

「意味の山」というより「復讐の山」と言った方が良さそうな山が出来上がる。

その山が実際にあったら直視できないであろう、恐怖の山。

 

この物語の終わり方にちょっとショックを受けた。

言わんとすることはわからなくもないがあまり後味の良い終わり方ではない。

なので私は、この物語を深く受け止めるのはやめて

人生の意味なんて考えるもんじゃないと再認識するに留めておく。