騒音のない世界で本を読む

児童文学好きの読書日記

完璧なこども

小公子 フランシス・ホジソン・バーネット 著

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バーネットの「秘密の花園」と「小公女」が大好きで何度読んだかわからないくらい読み返している。最近また読み返していたらやっぱりとっても面白いからもっとバーネットの本を読みたいと思って「小公子」を図書館で借りた。

昔からバーネットが大好きなのに何故か「小公子」だけは手元にないし、あんまり読んだ記憶がない。多分あんまり私好みじゃなかったからだと思うが2、30年ぶりに読んだら面白いと思うかもしれないと期待して読んだのだけど。

 

 

登場人物が皆いい人ばっかりだ。

あくまで主人公のセドリックから見た大人が皆いい人ってことなんだけど。

ごうつく爺で嫌われ者の祖父ですら親切ないい人だと信じて疑わないセドリック。

 

セドリックはまだ7歳だから大人みんながいい人、やさしい人に見えるのもしょうがないと思わなくもないけど、なんか「んなわけないじゃん」ってツッコミたくなる。

それにセドリック自身がいい子すぎるのもちょっとあれだ。

見目麗しく勇敢で物怖じしない子。出会う大人すべてから愛されるいい子なんてぞっとしないか。

 

セドリックは少女パレアナポリアンナ)を思わせる。

どんな悲惨な目にあっても明るく陽気で前向きに考えるパレアナ。行き過ぎたポジティブは返ってその心に闇を感じる。

負の感情を持たない人間なんているわけがない。それがたとえ小さな子供でも。

負の感情が湧き上がるのは人間社会で生きていればごく自然なことなのにそれがない人間なんて、もうそれはきっと人間じゃない。

 

ひねくれて可愛げのないメアリーやいつも上から目線で生意気なセーラと比べるとセドリックは、見た目も性格も完璧ないい子すぎるのだ。

子供として現実味が無さすぎるセドリック。そんなセドリックが主人公の物語はどんなびっくりすようなことが起きてもどこか空虚に感じる。

まあフィクション自体、絵そら事なのだからそれを言っては元も子もないのかもしれないけれど。

うん、やっぱり「小公子」は私好みじゃなかった。

 

              

 

ムーミンって何?

埼玉の飯能にあるムーミンバレーパークに行こうと思い、

行く前にムーミン物語の作者のトーベ・ヤンソンについて書かれた本を読んだ。

ずっとトーベ・ヤンソンは児童文学作家だと思っていたのだが

最初は、社会風刺画家として世に知られるようになったと知って興味が湧いた。

作家自身に興味が湧くとかわいいキャラクターとしての認識だけだった

ムーミンの話もちゃんと読みたくなる。

 

ムーミン本は色んな出版社からたくさん出ているから

どれを選んでいいかわからず、図書館で状態がきれいな本を選んで借りてきた。

それがこの本。

 

 

たまたま手にとった本がムーミンの記念すべき第1作目の本だった。

1作目だけれどトーベが出版を渋っていた為、日本ではなかなか出版されなかった本。

当初はトーベが絵も文章も書き直すつもりだったらしいが、

結局そのまま日本でも出版された。

 

こういう経緯を知るとなんか納得の絵。

まだ世に出たてのムーミンは、

現在目にする丸くてゆるキャラみたいなムーミンとは若干違う。

正直言ってかわいくない。なんだこの生き物は?って感じの見た目。

 

そして驚いたのがムーミンパパのこと。

ムーミンパパって家族を大事にする

「マイホームパパ」のイメージだったんだが全然違った。

だって家族をほったらかして旅に出て行方不明になったパパを

ムーミンママとムーミンが探す話だからね、この本は。

 

やっと巡り会えたムーミンに向かって言うパパのセリフ。

「ずいぶんと、おおきくなったな~」って、

一体どれだけ長い間、行方不明の音信不通になっていたんだよ・・・

 

ムーミンの物語は牧歌的でのんびり平和なものだと思い込んでいたけれど

そうじゃないみたい。

そういえば、スナフキンとミイは異父兄弟だし、

ミイの姉妹は17人とか18人とか。

おまけに父親も違うみたいで、全然牧歌的じゃない家族構成。

 

知れば知るほどムーミンの世界を知りたくなる。

もちろんこの世界観を作ったトーベ・ヤンソンのことも。

トーベに関する本もムーミンの本もたくさん出版されてるから

これから少しずつ読んでいく。

 

9月になると思い出す

今は手放してしまったけど、毎年9月になると思い出す絵本。

 

九月姫とウグイス  

文 サマセット・モーム  訳 光吉夏弥  絵 武井武雄

 

持っていた頃は、季節の絵本を玄関に飾るのを楽しみにしていて

なかでもこの絵本はお気に入りだったから

早くこの絵本を飾りたくて9月になるのが待ち遠しかったくらいだった。

まあ、9月以外に飾ってもいいのだけど、

なんとなくそういう「季節感」は守りたくて。

今年も9月になって、やっぱりこの本を思い出したので図書館で借りてきた。

 

タイトルに「九月」があるが9月という時節には全然関係ない物語だ。

九月という名前も9番目に生まれたからというだけで9月とは関係ない。

どこかで聞いたことあるような物語。

心優しい九月姫と意地悪な姉たちのやりとりと九月姫とウグイスの心温まる交流。

想定通りに物語が進んで終わる。

強く印象に残る物語ではないと思うのだがなぜ、

毎年9月になると必ず思い出すほど心に残っているのか。

 

九月姫」という言葉に惹かれるのが理由の一つ。

月姫や七月姫はあんまりかわいくないけど九月姫は断然かわいいと思うのだ。

字面もかわいい。

翻訳本なのであくまで日本語ならでは感想にはなるが。

 

そして心惹かれる理由のもう一つが武井武雄の絵であるということ。

好きな作家。とくに「ラムラム王」が好き。

ラムラム王の絵とはタッチが違うけど九月姫の絵も好き。

初版は1954年だが今見ても絵に古くささがない。

かわいいというより、モダンでおしゃれ。

きっと武井武雄の絵はいつの時代に見てもそうなのだと思う。

 

武井武雄の絵だから私はこの絵本が好きなのだろう。

別の人の絵だったらそもそも手にとってない気がする。

 

久しぶりに絵本を眺めていたらラムラム王も読みたくなってきた。

あ~それより長野県にあるイルフ童画館に行きたくなった。

武井武雄の絵を展示している美術館、これまで2回行った。もちろん一人で。

遠いので気軽には行けないけど私のお気に入りの場所だ。

行きたいな~行こうかな~

鬱から復活して元気になったことだし、働いてるから金もあるし。

 

 

男は老いて神となり、女は老いて妖怪となる

狙われた身体 病いと妖怪とジェンダー 安井眞奈美 著 

 

「妖怪とジェンダー」この言葉を見た時、何かが私の中で合点して

ジェンダー=得体のしれない異性の性質と読み解けば

妖怪に女性が多いのもわかると本を読む前から妙に納得した私。

雪女、姑獲鳥、砂かけばばあ、人魚、お歯黒べったり、

口裂け女、お岩さん、貞子(妖怪か?)等々。

実際は性別のない(わからない)妖怪の方が多いだろうが

なんとなく、幽霊、妖怪、妖精は女性のイメージが強い。

 

                                                 


引き換え「神」は男性のイメージ。

イエス・キリストブッダアッラー、オリンポスの神々、七福神

女の神様もいるけれど圧倒的男率の高さ。

 

ジェンダーとは性別に基づいた社会的属性・役割・相互関係を意味するが

私は女性への性差別・男尊女卑と同列の言葉として捉えている。

それは間違いとわかっているが、男性優位の社会に生きる女性の一人として

その考えはどうしても拭えない。

 

本書を開いて見れば、私の想像したような内容で非常に興味深く読み終えた。

妖怪の話が期待したほど出てこないのがちょっとがっかりだが

女性は「女性」というだけで死後、成仏できないとか

出産や月経による血の穢れのため死後、血の池地獄に墜ちるとか

日本中、いや世界中で女性を蔑む風習・習慣が根強くあることに

嫌悪感と不快感で気持ちが悪くなる。

 

宗教的に女性を蔑むことは当たり前な常識となっているが

女性を男性より劣った性とすることで

男性優位の社会を築いてきた男による男のための男に都合の良い「常識」だ。

でもそれって男性が女性を恐れるが故の裏返しのマウントじゃないのか。

 

自分と違う性を恐れず、尊重し認めることができないのが

男性の男性らしい特徴かもしれないが・・・どんだけ女が怖いのだ。

 

しかし、そんな男性より劣るとされている女性の体が狙われる。

不治の病を治す薬として胎児の生き血を求めて、

母親のお腹を裂き、胎児を取り出す。

出産で母子共々死んだら、その墓を荒らし、胎盤や臍帯を盗む。

妊娠中も死後も狙われる女性の体。

女性の身体の価値は高いが女性という性は蔑むべきもの。

なんか矛盾を感じるは間違いだろうか。

 

うっかり外で昼寝すれば女性器に蛇が侵入し、

妊娠すれば生きたままお腹を割かれ、

死んだら胎盤を盗まれ、老いれば妖怪となる。

 

女性に生まれたというだけでどれだけの業を背負わされているのやら・・・

 

 

わたしも眠れないのぉおおお

あたし、ねむれないの 

カイ・ベックマン作 ペール・ベックマン絵

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図書館で「あたし、ねむれないの」という絵本を見つけて、速攻借りた。

私のことやん。って思って。

デフォ不眠症な私。

「あたし、ねむれないのぉおおおおお!!!!」と叫びたいくらい眠れない。

 

              

 

リーセンはお人形がないと眠れないから

おかあさんを呼んでお人形を持ってきてと言う。

「お人形がいないとねむれない。」

 

私はお人形がそばにあったら存在が気になって余計に眠れなくなるから

お人形持ってきてとは言わないけど(一人暮らしだし)

「眠れないの、毎晩眠れなくて辛いのぉ。」って誰かに言いたい。

言ったところで眠れるわけじゃないけど言いたい。

 

リーセンのお人形は、くまがいないとねむれないと言う。

くまは、いぬがいないと眠れないと・・・

いぬは・・・・。                        

 

みんなどれだけさびしん坊なんだか。

ぼっち好きな私にはよくわからない感情だけど、

みんながベッドに並んでいる絵はとっても微笑ましくてなんか嬉しくなった。

 

おそらくベックマンの絵本は初見だと思う。

ひねったところのない単純な文章とかわいい絵でとっても気に入ったので

ミニマリストに憧れてる私だけどそばに置いておきたいと思った絵本だ。

 

 

そっくりな絵本 

とんでもなく暑いので目だけでも涼しくなろうと

図書館で「雪」の文字の入った絵本を探した。

で、借りたのが「ゆきのひのおくりもの」。

この絵本は、うつになって物を捨てまくる前に持っていて

お気に入りでよく部屋に飾っていた絵本だ。

 

               

 

私が持っていたのとは本の大きさ、表紙のデザインが違うし、

タイトルもなんか違うような気もするけれど、

絵とあらすじは同じだからセンダックの絵本みたいに出版社が変わったのだろう。

と思って家に帰って読んだのだけど、なんかちょっと違和感。

しっくりこないのでAmazon

「ゆきのひのおくりもの」を検索してみるもやっぱりこの絵本。

 

タイトルが違うのかもと、昔、持っていた絵本のタイトルを必死に考えて

「しんせつ」という言葉が入ってたことを思いだし検索したら出てきた。

「しんせつなともだち」という絵本。私が持っていたのはこっちだ。

やっぱり、出版社が変わってタイトルを変えたのか~とよくよく見てみると、

なんと作者も挿絵画家も別人! まったく別の絵本、国も違う。

 

「ゆきのひのおくりもの」はフランス。

「しんせつなともだち」は日本。

あらすじはほぼ同じ、ディティールの違いはあるけれど

うさぎの絵なんて、そっくりどころかまったく同じなのにこれってどういうこと?

どちらかがパクったとしか思えない。

年代が古いのはフランス。ということは・・・?

パクったんじゃなくて、影響を受けて描いたってこと?

いやいやいやいや・・・それにしてはそっくりすぎる。

これって本当にどういうことだろう?

 

 

 

読みくらべ

「まどのそとのそのまたむこう」

大好きなモーリス・センダックの絵本。

この絵本の絵をかわいいと思う人は少ないかもしれない。

どの絵も暗く、写実的なようでいて現実離れしていてとってもセンダックらしい。

一番可愛いはずのあかちゃんがとっても不気味なところも好き。

 

お気に入りの絵本だったのだが病んだ時に手放してしまったので

また欲しくなってAmazonで検索して驚いた。

絶版になっていたのは想定内だが同じ絵本がタイトルを変えて出版されていたのだ。

しかも、超絶ださいタイトルになっていた。

「父さんがかえる日まで」

ダサすぎる・・・絶句した。

こんなタイトルをつけた出版社や翻訳者に怒りを覚えた。

 

もちろん買う気は失せた。

わたしがほしいのは「まどのそとのそのまたむこう」だ。

と、買わずにいたものの気になっていた。

翻訳本は訳によってだいぶ印象が変わる。

二冊の読み比べがしたい。

図書館のHPを検索したら別々の図書館にあったので図書館をはしごして借りてきた。

 

                

 

「まどのそとのそのまたむこう」

文章は、詩的で抽象的な表現で文字数は少ない。

 

「父さんがかえる日まで」

絵の場面をしっかりと説明するような文章で文字数も多い。

子どもに読み聞かせするにはこちらが向いているのかも。

子どもがこの絵を好むかどうか微妙だが。

 

私は「まどのそとのそのまたむこう」の方が好きだ。

訳が詩のような感じなので絵を自由に解釈できる。

反面、「父さんがかえる日まで」は、

訳が説明文のようなので絵の解釈の余地がないというか、

文章に頭がもってかれてしまう。

どちらがいいとかの話ではなくあくまで私の好み、印象だが。

 

2冊を読み比べると当然、原語で読みたくなってくる。

どちらの訳が原語に近いのだろう。

果たして、私の英語力で読めるだろうか。

絵本ならなんとかなる?

 

ちなみに英語のタイトルは「Outside Over There」

「まどのそとのそのまたむこう」が意味は近い。

「父さん」なんて言葉、原語タイトルのどこにもない。