著者は、ひとり女性の老後を応援するNPO法人SSS(スリーエス)の活動をしている。
日頃から孤独な老人を見ている。
本人もシングルの70代、前期高齢者(執筆時)。
読んでいた時は気づかなかったが私の両親と同世代と知って驚く。
軽快でちょいちょい笑わせてくれる文章と
彼女のライフスタイルが50代前半と思わせる。
両親とは随分違う。
これもひとり者とツガイの違いだろうか。
頼る人がいないってことが頭や体、果ては細胞までも強く、若くさせるのだろうか。
老人の孤独という軽くはないテーマを扱ってるが、全然重くない。
SSSという団体を通じて知るエピソードは、
ビックリでぞっとする話だらけ。
ぞっとする事実は、知識として蓄えるに留めたい。
それを自分に置き換えて怯えるのは、愚の骨頂。
「老後を不安と思わないことがセコムより大事」には大笑いした。
また、不安が趣味の人が多すぎるとも言っている
私もそう思う。
不安がさらなる不安を呼んで、不安と心配に苦悩する人は
プロフィールに「趣味:不安、特技:心配」と書いとけ。
私はパートナーも友達もいない。
無職なのでうっとしい会社の人間関係もない。
だから毎日一人でとっても気楽だけど
やっかいなことに(?)家族がいる。
私自身は、独身が問題だと思ってないが両親にとっては大問題。
モラハラの父親、死にかかってる妹、車椅子の甥。
問題と不安がとぐろを巻いて唸ってる。
しかし、家族という形態じゃなければ
とぐろは、もっとシンプルだったかもしれない。
家族という密な関係が不安をこじらせる。
私が独身だから余計なしがらみがないこと、両親は気付いてるだろうか。
人間関係は蜜になればなるほどストレスなのは、誰もが知っている。
近くて濃くて逃げられない人間関係が人を追い詰め、
最悪な場合、相手を殺してしまう。
家族間での殺傷事件が多いのも皆、知ってる。
なのに執拗に孤独を恐れ、群れる。
群れたい人は好きにすればいいが
孤独を恐れる人は、己が孤独が怖いからか
一人者を孤独で寂しい人と決めつける。
「人間は本来一人」というデフォルトに必死で目を背ける。
養子縁組する人。
孫の財布になってる人。
後妻業と結婚する人。
目を背けても事実は変わらない。
孤独死を超悲惨と怯えるのは何故?
死は孤独に決まってる。
そばに誰がいても死ぬ時は一人。
誰にも気づかれず死んで
肉体が朽ちてうじが湧き、骨で発見されたとして、
それが何だ。
皆、死んだら骨になる。
この世から意識が消えた後のことをワザワザ考えて・・暇なんだな。
誰がいても何人そばにいても不安はある。
孤独は埋まらない。
それを認めて孤独を満喫する方向に人生をシフトしたらどうだ。
本書を読んだら目が覚めて
“孤独な老後=寂しい怖い“の呪縛が解けるかもしれない。