言うまでもなく、クリスマスの大定番。
クリスマス・キャロルは知らなくても
守銭奴で情け知らずの老人が3人の精霊と出会って善人になるストーリーは
聞いたことがあると思う。
スクルージの描写が容赦ない。
並外れた守銭奴、因業じじい、牡蠣のように人付き合いが悪い。
(牡蠣のようにとは?)
彼が通るとその低い体温で辺りを冷やす。
しかし、よくよく見れば
確かに親切ではないが、悪人でもない。
犯罪も侵さない。社会人としての義務は果たしている。
ただ、それ以上のことはしない。
強欲だが、私利私欲に走らず、贅沢もしない。
真面目に商売をして儲ける。
簡単に言えば、ドケチだ。
精霊に導かれて、過去の自分と対峙し、
現在の身近な人間の貧困を目の当たりにしてショックを受け、己の言動を後悔する。
いとも簡単に因業強欲じじいが親切なおじいちゃんに変わる。
この本が出版された当時、大流行したらしいが
因業じじいがあっさり、心入れ替えて善人になるストーリーが
現代でも同じように受けるだろうか。
この話は、性善説が基になってる。
スクルージの本質が善人、心優しい人間という前提がなければ、成り立たない。
現代、性善説を信じる人間はどのくらいいるだろう。
ちなみに私は、性善説にアレルギーを起こす。
人間の本質は、簡単に変わらない。
では、スクルージの本質がどこにあるのか。
過去のスクルージが心優しい人間だったとする描写はない。
ただ、貧困と孤独にあえぐ過去があるだけ。
本当は心優しい人間だとは、読者の推測に過ぎない。
たった一晩でいい人になることに違和感があるが
それこそクリスマスの奇跡なのかもしれない。
とすれば、キリスト教徒ではない私には到底、理解が及ばないな。
~原作と関係ない話~
今回、光文社古典新訳文庫で読んだ。
2006年の翻訳らしいが、わかりにくい。
今はあまり聞かない言い回しや単語が多い。
私は、現代文学よりいわゆる古典と言われる本が好きで
古い文語体に慣れているつもりだが、読みにくい。
これじゃ、古典を読む人が減るのは必至だ。
母国語の文章がわからないなんて、
誰だって読む気が失せる。