騒音のない世界で本を読む

児童文学好きの読書日記

面倒くさいの根底にあるもの

生きるのが面倒くさい人

~回避性パーソナリティ障害~
 

<回避性パーソナリティ障害>

ー自分に自信が無くて人から批判されたり

恥をかくのが怖くて社会や人を避けてしまう。

愛されたいが冷たい仕打ちが怖くて相手に近寄れないー              

人と会うのが面倒くさい。

喋るのが面倒くさい。

考えるのが面倒くさい。

生きるって超絶面倒くさい。

人と親密な関係になれない。

他人の批判や拒否に敏感。

いつも皆に嫌われてると思う私。

自己肯定感自体がない私。

 

そんな私は愛着スタイル回避型だから

=回避性パーソナリティ障害だろうと

思っていたが両者は、別物だった。

両方が同居することはあるけど、本質的に違うらしい。

そして本を読み進めるにつれ

私は、愛着スタイル回避型ではなくて

回避性パーソナリティ障害に近いとわかった。

 

回避性パーソナリティ障害の要因は、

愛情深い世話の不足、過保護・過干渉、

否定的な養育と恥ずかしい体験、

助けを求めた時に冷たく突き放される等々・・。

ぞっとした。

まるで私のことじゃん。

社会に出て、世間知らず過ぎて

皆がフツーにできることができなくて

皆が当たり前に知ってることを知らなくて

愕然として劣等感で苦しんで悩んで

やっと気づいたのは、

私は過保護に育てられた子どもだってこと。

 

親が隠した現実に

耐性ゼロだからどこにも馴染めず、

何も続かず、転職を繰り返した。

35才過ぎてやっと

フツーに働けるようになってから、

過保護は一種の虐待だと思うようになった。

 

過保護だけど

今どきの褒めて伸ばす教育とは真逆に

子どもを褒めない親だった。

間違いは、なじられ、からかわれ、甘えは拒否された。

容姿を否定され、生き方はバカにされた。

私のやる事なす事すべてケチをつける親。

怖い事件があって助けを求めた時も

怖いと思う私がしょうもないと突き放された。

安全基地として機能しない親。

 

私が独身で友達ゼロで

それを求める気持ちもないのはこれが原因か。

小さい頃から早く家を出たいと思っていたのも

自立してから親と会うのがストレスなのも

私を傷つける存在から逃げたいと

無意識に思ってるからだろう。

求めても得られない、

求めても突き放される。

ならば、最初から求めない。

そうすれば傷つかずにすむ。

 

独りは、気楽で

寂しいと思ったことはないけど

独りでしかいられない自分が悲しくて

泣いてしまうことはある。

           

悲しいけど

今更、回避性を克服する気もないし

できる気もしないので

これからもできるだけ逃げようと思う。

だって回避が最善の自己防衛だから。