佐藤さとると言えば、コロボックル。
コロボックルと言えば、佐藤さとる(私的に!)
その!佐藤さとるの短編集。
大人の今、振り返るとあれは何だったんだろうと不思議に思うことがある。
日常に不思議が散らばっていた子供時代。
子供は、不思議を不思議と思わないから
大人の方が不思議に会う回数は多いかもしれない。
大人は、出会った不思議を解明しようとする。
誰かのいたずら、うっかり、記憶違い、偶然の産物・・・
謎解きできないともやもやする。
そんなおかしなことあるわけないと不思議を一生懸命、否定しようとする。
科学は万能ではないし、
人間が解明できないことは5万とあると知っているはずなのに。
柔軟な考え方をする人間と自負していたが、
そうでもなかったとこの本で気付いた。
頭の硬い、偏見の塊の両親みたいな人間には
心底なりたくないといつも思っているのに。
子供の頃、道端で拾ったガラス玉を集めていた。
ビー玉ではない。
不透明な磨りガラスを丸めた玉。
まるで手でこねて作った団子のようにいびつな形。
大きさは、直径1センチ前後だったか。
濃い水色、薄い水色。
他の色もあったかもしれない。
色も大きさもバラバラで、工業製品のような統一感はなかった。
今は手元にない。
いつ手放したんだろう。
なぜ道端にそんなガラス玉が落ちてたんだろう。
1箇所ではない、子供の狭いテリトリー内だがあちこち落ちていた。
おもちゃなのか何かの製品なのか、さっぱりわからない。
毎日ではないけどちょくちょく見つけたので
見つけても「また今度拾えばいいや」と
拾わない日もあったくらい落ちてるのが当たり前だった。
大人の私は、ガラス玉の正体を調べたくなるけど
好きなガラス玉が落ちてるのが嬉しいだけだった子供の私を
消してしまう気がして
なんかちょっと悲しくなるから、ググるのはやめようと思う。