騒音のない世界で本を読む

児童文学好きの読書日記

傷を笑いにかえる

秘密のノート  ジョー・コットリル著 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回の「レモンの図書室」と同じ著者の本。

「レモンの~」がドストライクに好みだったので図書館で迷わず借りてきた。

「レモンの~」はヤングケアラーを題材にした物語で

社会問題になっていることは知っているが

私にはあまり身近なテーマではなかった。

が、主人公の心の動きが鬱になる前の私によく似ていて共感し涙した。

  

本作はルッキズムがテーマ。

11歳の少女ジェリー。

ものまねが得意でひょうきんな女の子。

太めの体型も自虐ネタにして笑いをとる。

そんなジェリーだからみんな遠慮せず彼女に言う。

セイウチ、カバ、ゾウ。

言われたジェリーは、セイウチのモノマネをして笑いをとる。

だからって彼女が傷ついてないと思う? 

11歳の女の子がゾウって言われて、カバって言われて。

 

    

 

私がルッキズムがテーマの本をよく読のは

私自身がルッキズムに支配されているからだろう。

支配され苦しめられている。

おそらく死ぬまで支配され続けるだろうし、逃れる術は見つからないだろう。

私のようにルッキズムで苦しんでいる人はたくさんいると推測する。

というか経済的に豊かな国、いわゆる先進国で

ルッキズムに支配されてない人間なんているのか。

 

見た目なんて気にしないって言う人もそれと気づいてないだけで

見た目に価値観や判断を左右されていると思う。

それは視覚から得る情報が大きい人間にはどうしようもないことなのかもしれない。

でもだからってそれを言葉にするのは間違っている。

たとえ肯定的な言葉でも口にすべきではない。

賛美の裏には嘲笑や侮辱があるから。

 

しかし世の中では、容姿をからかわれ、ネタにされても

笑って聞き流せる人間にならないといけないらしい。

侮辱や嘲笑を真に受けて傷つく人間は心が弱い敗北者ってことで。

だからジェリーは笑う。

傷は秘密のノートに書き写して笑う。

傷ついてなんかいないし

ルッキズムに支配されてなんかいないと笑う。

でもね、

傷ついた自分を無視してるといつか心が壊れる。

 

  

 

物語は「レモンの~」と同じように

ジェリーの傷に気づき、理解してくれる人が現れて

ジェリーも読んでる私もほっと一息、よかった~と満たされて終わる。

まあそこが現実と小説の違いで

現実世界では傷ついた弱者に寄り添う心やさしい人間なんていないから

ルッキズムは蔓延拡張し、病んじゃう人が増えてるんだよね。

 

 

わたしは大丈夫という呪文

レモンの図書室     ジョー・コットリル著

本が大好きなカリプソはいつも一人。

でも大丈夫、ひとりでも幸せだ。

ママが子供のころに読んでいた本に囲まれて幸せ。

自分の一番の友だちは自分、頼りになるのは自分の強い心だけ。

そうパパに教えられて生きてきた。

「他人はいらない」

「もしパパになにかあっても大丈夫だ、お前には人一倍強い心があるんだから」

 

パパはママが死んで悲しくて心が壊れてしまった。

その壊れた心はどこかに仕舞って鍵をかけた。

そして「パパは大丈夫だからカリプソも大丈夫だ」と言って

カリプソの存在を忘れるようになった。

 

               

 

この物語は、近年社会問題になっているヤングケアラーを題材にした話だが

私は、カリプソカリプソのパパから発せられる言葉

「私は大丈夫」「頼りになるのは自分だけ」

「他人はいらない」「心を強く持て」

これらの強気な言葉にほろっと涙が出そうになった。

 

辛い時、苦しい時、悲しい時、私が自分に言い聞かせてきたまさにその言葉ばかり。

他にも色んなバリエーションで自分に言い聞かせてきた。

「自分の味方は自分だけ」

「どんな悪(苦しみ、悲しみ)も命まで奪いはしない」

「人間は孤独が当たり前」

と、突き詰めればどの言葉もその意味の根っこは同じだ。

 

これらの言葉を頭の中で反芻し、どんなことも一人でなんとかしてきた。

頼れる、甘えられる人間のいない私。

「私は大丈夫」と何度も何度も自分に言い聞かせる。

まるで呪文のように。

 

                

 

カリプソはまだ子供なのに自分とパパの世話をして、

それを隠しながらなんとかやってきたけど

ある日友達のメイに全部知られてしまう。

本当は全然大丈夫じゃない自分を。

でもメイはそんなことで怯んだりしなかった。

「全然大丈夫じゃない」カリプソとパパを(も)ちゃんと受け止めくれた。

よかったね~と思う・・・けど

 

現実はこんな簡単じゃない。

友達だと思って愚痴って相談したら、

「そんなの皆同じ、いちいち文句言うな」と言われる始末。

「自分で選んだ人生でしょ」

「自分で決めたことでしょ」

「そうなったのはあなたが悪いから」

すべては自己責任らしい。

ぼっちも自己責任、貧困も自己責任、

死別のシングルマザーでも自己責任。

子がいないのも、子を大学に行かせられないのも、家が借りれないのも、

パワハラもセクハラもマタハラも・・・

「私は大丈夫」って呪いをかけて生きるしかないじゃん。

 

 

本を眺める楽しみ

私の本棚  新潮社編 

本が好きだ。

もちろん文章を読むのが好きなわけだが

それ以上に本の存在そのものが大好きだ。

 “モノ”としては紙の集合体にすぎないけど

その中は文字や絵や写真を通して未知の世界が広がっている。

だからだろう、本の背表紙を眺めているとワクワクするのは。

 

当然、本屋も図書館も大好きだ。

そこには無数の夢と希望と可能性がある。

(私にしてはかなりポジティブなワードのラインナップ)

一生かかっても知り得ることのできない知識や事象、歴史、概念etc.

 

                    

 

そして人様の本棚を見るのもこれまたとっても楽しい。

「本棚は人を表す」と言われるように

本棚は、その人の趣味、思考、嗜好、価値観が可視化されたようなものだ。

本だけでなく、それを収納している本棚や本の並べ方、

すべてにその人となりが現れるから面白い。

 

面白いから本棚を眺めるのを趣味としたいところだが

人様の本棚を見る機会などめったにないというかまず、無い。

しかし私と同じように興味ある人が多いのだろう。

こんな本があるくらいだから。

 

皆さん著名な方なので非正規労働者の私と違って財力があるから

その蔵書たるやものすごいことになっている。

そして皆が一様に頭を悩ませているのが本の収納。

オーダーメイドで本棚を作ったり、本のために部屋を借りたり、

その家賃に困ってその部屋を撮影スタジオとして貸し出したり、もうレベルが違う。

けっこうな本好きを自負していた私だがこれを読んで

「なんかぁ、本好きって言ってすみません」って謝りたくなった。

 

本が好きなわりに私、本をあんまり持ってないのだ。

50冊くらいか。

かつてはどっさり持っていた。多分1000冊くらいはあった。

本を捨てるなんて考えたこともなかったし、

欲しい本はあまり値段を気にせずに購入していた。

本以外のものを買うハードルは高いくせに本にはハードルがなかった。

 

夢は、壁一面の本棚。

壁一面を埋めるためには、まだまだ足りない。

買って買って買って・・・

いつか、お金を稼げるようになったら・・・

いつか、家を持ったら・・・

 

                 

 

気がつけば50代、そんないつかは来なかった。

諦めたのとは違う。思考が変わった。

うつを患って本が読めなくなった時、

あんなに大事だった本が邪魔になってほとんど処分した。

そして物を捨てたい病に罹って物を持つことがストレスになって

電子書籍を利用したらその手軽さと便利さに感動した。               

 

だけどやっぱり本の背表紙を愛でたい欲がある。

自分の本棚は、しょぼいから見ても面白くないので

こんな風に人様の本棚を覗き見できる本は

私に最高の娯楽を与えてくれる。

 

ルッキズム支配

かわいい子ランキング ブリジット・ヤング著

 

衝撃的なタイトルとかわいい装丁で手に取らずにはいられなかった本。

今の時代、かわいい子ランキングなんてあっていいのか?

 

   

 

生徒たちに突然送られてきた8年生の女子のかわいい子ランキング。

1位から50位までのランキング。

みんなの予想を裏切って1位は、地味で本ばっかり読んでてぼーっとしているイヴ。

誰もが憧れる人気者のソフィーが2位。

自分の世界に満足してひっそり生きていたのに

いきなり学校の中心人物になってとまどうイヴと

自分が1番じゃないこと、誰かの下になったことががまんできないソフィー。

そしてランキングに入ってもいない、ぽっちゃりタイプのイヴの親友ネッサ。

 

イヴが1位だと知るやいなや、言い寄ってくる男子や

話したこともないのに「私達前から仲良しだよね感」を出してくる女子。

ランキングを作った犯人探しが始まると

イヴが自分で作ったんだろうと言い出す人もでてきて・・

親や学校を巻き込んでの大騒動。

 

               

 

容姿で評価を変えたりしない、そんなの当然でしょ?って

誰もが私はまともで善良で差別なんてしない人間ですよ。って顔をしているがその実、

世はルッキズムにあふれている。

未だにミス〇〇コンテストなんてやってるし。

受付とか窓口にはだいだいきれーなお姉さんが座ってる。

おじちゃんやおばちゃんはいない。

 

就職の面接だって見目麗しい方が有利だってわかってるから

就活前にプチ整形する人がいるわけだし。

それこそ婚活においては絶賛!ルッキズム、ビバ!ルッキズムで。

 

世はルッキズムで支配されていると誰もがわかっている。

だけどそれを認めるのは、なんか人間としてクズっぽいというか、

そもそもそんな自分の容姿はどうなんだと言われたら・・・

だから建前だけでもルッキズムを否定するしかない。

 

小説の世界では、かわいい子ランキングも

人生のスパイス的なもので終着しそうだけど

現実はそんなにゆるくない。

ルッキズムの底辺にいる私なんてルッキズムに支配されまくって

目の下のクマとり手術とたるみ取りの糸リフトに何十万円も払った。

それでも底辺に変わりはないから

鏡に映る自分の顔をなるべく見ないように目を伏せてしまう。

こんな容姿じゃなかったら、もっとかわいく生まれていたらと

50過ぎたおぼさんになった今でも考える。

きっと死ぬまでルッキズムに支配されるのだ。

 

 

言葉の怖さ

パッとしない子  辻村深月 

小学校教師が国民的アイドルのかつての教え子に再会し、

先生と二人で話がしたいと言われ、気分良く応じたら

聞かされたのは自分が過去に言った彼と彼の弟を傷つけ言葉の数々。

あなたが放った言葉で如何に傷ついたか、

どれだけあなたを嫌ってるかを

面と向かって話されるというある意味復讐劇のようなストーリー。

 

 

言われた方はしっかり覚えているが

言った方は、言われてみればそんなことを言ったような気もする程度の記憶で

しかも「私そんなひどいことした?」と納得がいかないどころか

傷つく人が繊細すぎるのだと思う。

深く考えずに言った言葉でいちいち傷つくのはやめてほしいと。

 

傷つく方が悪いかのような思考に驚く。

まるでいじめられる方が悪いと言ういじめ加害者と同じじゃないか。

深く考えずに放つ言葉こそ、

その人の本音で本性が現れているのだから真剣に受け止めるべき言葉なのに

聞き流せとでも言うのだろうか。

 

                

           

言葉って怖い。

何気なく放った言葉が人傷つけ、傷つけられる。

言った方は覚えてないけど言われた方はずっと覚えている。

事あるごとに思い出し、その言葉を放った人間を恨む。

 

このアイドルのように相手に心のうちを吐露出来れば

すっきりするだろうが

そんなこと現実的にできるわけもないので

私は妄想の中でささやかな復讐をする。

 

人前で喋ってる時にスカートがずり落ちてパンツ丸見えになるとか、

冤罪なのに痴漢で逮捕されてあらゆるSNSに顔写真が出るとか、

どこまでも際限なく太るとか

顔面がニキビだらけになるとか、

絶対自分には起きてほしくないことが

その人の身に降りかかったところを想像してほくそえむ。

そんな妄想をして傷ついた心を治療する。

 

ふざけてるようだが言葉の暴力はそうやって

自分の中でなんとか折り合いをつけるしかない。

身体的暴力は逮捕、罰せられるのに言葉の暴力は放置されるから。

 

身体に受けた傷はいずれ治る。

一生の傷となるものもあるがたいてい治る。

でも心に受けた傷は治らない。

トラウマとなって精神に支障をきたすこともある。

それでもその言葉を放った人間は野放しなのだ。

被害者がいるのに言葉を放った人間が加害者になることはない。

 

そして言われる。

そんな人間の言葉を真に受ける方がおかしい、

聞き流せばいいじゃないか。

気にしすぎだ、神経質すぎる、繊細だと・・・

そうやって結局、言葉の暴力は許される。

言葉ってほんとに怖い。

 

 

人間も動物も結局見た目

やさしいライオン  やなせたかし

 

やなせたかしと言えばアンパンマンを思い浮かべる人が多いだろうが

私は「やさしいライオン」と「チリンの鈴」、

この2冊の絵本を思い出す。

大好きで大事な2冊の絵本。と言っても手元にはない。

好きなら買って手元に置いておくべきなのだが

ここ10年ほど物を捨てたい病に罹患中で

病が悪化すると発作的になんでもポイポイ捨てしまう。

そうやって今まで何度も買っては処分しを繰り返しているこの2冊。

どうしても読みたくなったので今回は図書館に行った。

あいにく「チリンの鈴」はなかったので

「やさしいライオン」だけ借りてきた。

 

               

 

いつも震えているからブルブルと名付けられたみなしごのライオンは

ムクムクという名前のメス犬に育てられてとってもやさしいライオンになった。

体は大きくて立派だけどお母さんが大好きなやさしいライオン。

 

この絵本を読むたびに涙し、やるせない気持ちになる。

やさしいライオンですとどこかに書いてある訳でもない、

言語が通じ合えない猛獣、肉食動物が目の前に現れたら

力で劣る人間は、射殺という防衛手段をとるのは致し方ないことだ。

人間の住む街をライオンがうろついている状況も

人間が作り出したことだからライオンに罪はないのだけど。

 

人は見た目が9割と言うが動物にもそれがあてはまるようだ。

見た目より中身だよ!と偽善者は知ったふうなことを言うけど

超能力者じゃないんだから初対面で中身までわかるわけがない。

確実にわかる情報だけで相手を判断するしかない。

 

突如、目の前に猛獣が現れて

やさしいライオンかも?

人間を襲わないライオンかも? 

なんて推し量っている暇はないのだ。

 

でもでも、やっぱり悲しくなってしまう。

見た目で決めつけるなんて・・・。

 

猛獣じゃなくても大型犬というだけで怖がる人も多い。

私は、マスティフでもドーベルマンでも可愛くてたまらないが

それは無条件に犬が好きな犬バカで

犬を飼っていたこともあるからで

犬が身近でない人にとっては、

いかつい顔とでかい体の犬は猛獣と同じくらい怖いだろう。

そんな生き物が近づいてきたら

恐怖のあまり無用に逃げ、勝手に転び、

犬に襲われたー!なんて言うのかもしれない。

 

               

 

お母さんに会いたかっただけのブルブルも

そんな怯える人間に襲われた。

でも人間が100%悪いとも言えない。

 

悲しすぎるブルブルの生。

毎度涙しながらもムクムクを背負って空を駆けるブルブルの姿に

心が暖かくなるから何度でも読みたくなる。

 

 

殺人鬼ノーム

庭のこびとノームから身を守る方法  チャック・サンプチーノ著        

ふらっと立ち寄った図書館で目について借りた本。

赤い三角帽をかぶった小人のおじいさん、ノーム。

その存在は、知るともなく知っている。

映画アメリにも出てきたし、

どこの家の庭にもある、とまではいかないけど、

わりと見かけることが多い陶器でできた置物だ。

 

ディズニーの白雪姫に出てくる7人の小人を彷彿とさせる見た目から

善良な妖精の類かと思っていた。

しかしこの本のタイトルには「ノームから身を守る」とある。

なんか気になるではないか。

厚さ1センチほどで写真もたくさん載ってるから

すぐに読み終わるだろうと思い、借りたのだが。

 

       

 

この本は一体どういう心持ちで読めばいいのだろう。

想像と違って妖精のノームについて書かれた本ではなくて、

まさに庭にある置物のノームについて書かれている。

彼らは人間を襲うらしい。

いたずらレベルではなく人間を殺そうとするらしい。

鎌や斧、槍、毒を使って襲うらしい。

・・・・チャッキー?

                    

殺人人形チャッキーを思い浮かべつつ読み進めると

彼らの生態(?)や危険レベル、彼らが使う武器、

はたまた、我ら人間がすべき防衛方法、武器の種類、

ノームを死に至らしめた場合、追悼の儀を請負う葬儀社の紹介など

しごく真面目に書かれている。

           

 

これは、真面目な本なのか?

本気でノームとの戦争がおこると思っている人が書いている本なのか?

それともウイットに富んだ本として受け止め、

あ~面白かったと思うべきなのか?

 

ノームに襲われ命からがら逃げ、

今はFBIの証人保護プログラム下にあり、

ノームからの襲撃から身を隠している人の証言も載っている。

 

ベルリン郊外に住む人がノームに襲われた事件の資料ファイルが

ドイツ警察に保管されていてそのファイルナンバーも本に載っているが、

果たして事実としてそのファイルの存在を調べる術がないので

やっぱり真面目な本なのか、面白本なのかわからない。

 

真剣なのか?

ユーモアなのか?

読んでる間中、この疑問が頭にあって

薄い本なのに読むのにずいぶん時間がかかってしまった。