騒音のない世界で本を読む

児童文学好きの読書日記

言葉の怖さ

パッとしない子  辻村深月 

小学校教師が国民的アイドルのかつての教え子に再会し、

先生と二人で話がしたいと言われ、気分良く応じたら

聞かされたのは自分が過去に言った彼と彼の弟を傷つけ言葉の数々。

あなたが放った言葉で如何に傷ついたか、

どれだけあなたを嫌ってるかを

面と向かって話されるというある意味復讐劇のようなストーリー。

 

 

言われた方はしっかり覚えているが

言った方は、言われてみればそんなことを言ったような気もする程度の記憶で

しかも「私そんなひどいことした?」と納得がいかないどころか

傷つく人が繊細すぎるのだと思う。

深く考えずに言った言葉でいちいち傷つくのはやめてほしいと。

 

傷つく方が悪いかのような思考に驚く。

まるでいじめられる方が悪いと言ういじめ加害者と同じじゃないか。

深く考えずに放つ言葉こそ、

その人の本音で本性が現れているのだから真剣に受け止めるべき言葉なのに

聞き流せとでも言うのだろうか。

 

                

           

言葉って怖い。

何気なく放った言葉が人傷つけ、傷つけられる。

言った方は覚えてないけど言われた方はずっと覚えている。

事あるごとに思い出し、その言葉を放った人間を恨む。

 

このアイドルのように相手に心のうちを吐露出来れば

すっきりするだろうが

そんなこと現実的にできるわけもないので

私は妄想の中でささやかな復讐をする。

 

人前で喋ってる時にスカートがずり落ちてパンツ丸見えになるとか、

冤罪なのに痴漢で逮捕されてあらゆるSNSに顔写真が出るとか、

どこまでも際限なく太るとか

顔面がニキビだらけになるとか、

絶対自分には起きてほしくないことが

その人の身に降りかかったところを想像してほくそえむ。

そんな妄想をして傷ついた心を治療する。

 

ふざけてるようだが言葉の暴力はそうやって

自分の中でなんとか折り合いをつけるしかない。

身体的暴力は逮捕、罰せられるのに言葉の暴力は放置されるから。

 

身体に受けた傷はいずれ治る。

一生の傷となるものもあるがたいてい治る。

でも心に受けた傷は治らない。

トラウマとなって精神に支障をきたすこともある。

それでもその言葉を放った人間は野放しなのだ。

被害者がいるのに言葉を放った人間が加害者になることはない。

 

そして言われる。

そんな人間の言葉を真に受ける方がおかしい、

聞き流せばいいじゃないか。

気にしすぎだ、神経質すぎる、繊細だと・・・

そうやって結局、言葉の暴力は許される。

言葉ってほんとに怖い。