動物と会話できる医者ジョン・ドリトルと動物の冒険物語。
いわゆるGift的能力で動物と会話ができる人、
ある日突然、動物の言ってることがわかるようになった人が
ドリトル先生だと思っていた。
映画はそうなっていたような。
原作はそうじゃなかった。
ドリトルは勉強して会話できるようになったのだ。
鳥語、犬語、猿語、etc.
すごい。
動物の種類の数だけ言語がある。
ひょっとしたら人間以外の
動物間共通言語なるものがあるかもしれない。
物語のポイントは、そこじゃないけど
何年も勉強して
毎日、海外ドラマで英語を聴いても
英語がわからない私は、そこに感動。
「ちゃんとした人なんかより、動物のほうがいいな」とドリトル。
私も同じ気持ちだ。
人間嫌いの私。
嘘と欲でパンパンな人間より動物がいい。
犬と猫にまみれて暮らしたいといつでも思ってる。
でも人間と犬は、会話できない。
だから人間は、犬の気持ちを推し量る。
犬が何を訴えているか考え、想像する。
不平不満を言えない犬がいじらしい。
彼らは態度で示す。
拗ねて言うこと聞かないとか、たまらなく可愛い。
しかし、もし犬と会話できるようになったら
人間同士と変わらない関係になるのではないだろうか。
言葉による誤解や齟齬も生じるだろう。
口喧嘩もできる。
私はそれでも人間より動物の方がいいと思うだろうか。
犬が言った言葉で傷つくのだろうか。
その言葉で病むのだろうか。
人間のような下心がないし
嘘という概念もないから
犬と会話できても傷つけられることはないのか。
さらにドリトルは言う。「お金なんて面倒だ。」
ドリトルは、お金がなくてもなんとかなると呑気。
反対に一緒に暮らす動物がお金の計算をし、
これじゃ生活できないとあせって
その特徴を活かしてドリトルを助ける。
人間の国では、お金無しでは何一つ手に入らず、
何も出来ず、生きていけない。
「そんな国に誰が住みたいもんか。ばかげた話だ!」
ああ、その通り!
お金なしで自由に暮らせたらどんなにいいか。
「人なんかより、動物がいい」と
ドリトルが言えば重みがある。
しかし、人間の友達も動物の友達もいない
私が言うとなんか、うーん・・・